114日(土)曇り 5:50起床 パクディン→ナムチェ(3,440m)

 下痢の症状は朝までにほとんど治った。ロッジを7:10分に出発。30分ほど歩くとBenkarの手前で北東方向にThamserk(6,608m)が見えてきた。
 Monjo
から10分ほど歩くと国立公園入域料を払うチェックポストを通過。ドード・コシ(ミルクの川)の川原を30分余り歩いた後、5色のルンタ(お経が印刷されている赤、青、緑、黄、白の四角い旗が紐でたくさん繋がっている)がはためくアルミ製つり橋を渡り、いよいよ600mの登り道にかかった。橋を渡り終ったところがコンクリートの階段になっていたがゾッキョ(ヤクと牛の交配種)は器用に上り下りしていた。
 道にはいたる所にゾッキョの糞が落ちており、うっかりすると踏んでしまいそうだ。ガイドからゾッキョとすれ違う時は必ず山側へよけた方が良いと教えられた。たまにツノで突かれたり、谷に落とされる事故が有るらしい。
 トッレキングのルートだけに、急激な登りは無く、緩斜面を巻いて行く。途中でエヴェレストが見える最初のポイントを通過したが、曇り空のため見えなかった。
 5分程の休憩を3回取り、2時間ほど歩くと木陰の間からナムチェの村が見えてきた。右手を見るとKusumKangru(6,367m)が眼前に迫って見えた。
 村の入り口には門があり、3〜4軒ほどの小さな集落を過ぎると左手に
チョルテン(仏塔)
右手にカンニ(村の入り口に有る魔よけの門)が見え、ヒマラヤの峠を越えて来たチベット人の行商人のバザールと彼らのここで暮らしている粗末なテントが見えて来た。 今日は土曜日なので週一回催されるバザールが有るはずだが、時間が遅かったせいかすでに終っていた。
 地元の人が使う洗い場を右手に見ながら進むと、左右に土産物や登山用品などの売店が建ち並ぶナムチェの街並みに到着。さらに馬蹄形になった町並みをぐるりと左周りに回り、西側のかなり街の高い位置に有る
HSAの提携しているロッジHotel  Nolineに到着した。
 あいにく満員でそこからさらに西よりの
Hotel Everest11:20分に到着。ホテルのテラスからはThamserku(6,623m)
が正面に見えていた。
 休憩後ナムチェの街に散歩に出かけた。絵葉書を買ってロッジに戻り、自宅と会社宛に近況を書き、投函を頼んだ。ルクラまで人が運ぶので時間がかかると思っていたが、やはり日本に着いたのは15日で10日程かかった。
 夜になってガイドのドルジェ君が、私の個室のツインの空いているベッドにペルー人の若者を泊めても良いかと聞きに来た。3人グループでトッレキングしているグループの一人のベッドが足りないと言うことで
OKすることにした。
 ガイドやポーターは混んでいる時はロッジの長いすで寝るのが慣わしらしく、遅くまでストーブが点いているので寝心地は良いと言っていた。ドルジェ君はシュラフを持っておらずブランケットを借りて寝ていた。このあたりはまだ
3,500mぐらいで森林限界に達しておらず、どこのロッジも薪を燃料としていた。
 電気も上流の
Thameの水力発電設備から送電されており、電灯もテレビもあり、インターネットも出来る。トイレも手動式であるが(水は甕からタンクに定期的に移す)水洗であった。しかし使用済みのトイレットペーパーは北アルプスの穂高岳山荘など同じで側に置いてある缶に入れ、流すことはNG。トイレットペーパーは各自持参が基本でロッジの売店にも中国製の物が置いてあるので買うことが出来る。

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日程1