113() 4:30分起床 カトマンズ 晴れ ルクラ 曇り→パクディン 曇り一時雨

 昨日の打ち合わせにて5:00に迎えが来ると言う約束なので時間通りにホテルのロビーに行き、チェックアウトを済ませた。昨日に頼んでおいたランチボックスを受け取り、ロビーで待っていたがなかなか来ない。20分ほど遅れて、やっと昨日迎えてくれた、ひげを生やした愛嬌のあるHSAの人が来たが、なにやら携帯で電話をしている。プルバ社長と連絡を取っているらしく、遅れるので先に空港へ向かっていてほしいと言う事らしい。待たせてあったタクシーにて15分ほどでドリヴバン空港のゲートに到着。そこにはネパール軍の兵士が銃を背覆って物々しい検問をやっていた。そこから左の方向に曲がり国内飛行場に到着、外はまだ暗いのに続々と団体客が当着し列が出来ていた。さらに15分ほど待っていたがプルバ社長はまだ来ない。やがて入り口のドアが開き、セキュリティチェックが始まった。さらに少し待っていたが痺れを切らした例の人が航空機のチェックイン、荷物のチェックを優先的にやってくれた。おかげで予定より30分早い6:30出発の今日3番目のフライトのイエティ航空に乗れた。ターミナルからはバスで移動し、小型機が駐機しているエリアに到着。もう間に合わないと思っていたが搭乗の寸前にプルバ社長が自ら運転する車でこれから乗る飛行機のすぐ側までやって来た。さすがにネパールトレッキング協会のバイスプレシデントをしているだけあって顔が利くらしい。ガイド宛のトッレキング許可証や現金の入った封筒を渡された。飛行機には乗客が17人、民族衣装を着た女性のキャビンアテンダントと操縦士、副操縦士の20人が搭乗した。私が最後に乗り込むとまもなくエンジンスタートし、ほんの数分で飛び立った。飛行機は密閉が悪く、私の横のドアの隙間から外が見えている。離陸後、キャビンアテンダントはキャンディーと綿の耳栓を配り始めた。10分程で左手にヒマラヤの山々が見えてきた。あいにくの曇り空で景色はあまり良くなかったが、名も無い雪を頂いたヒマラヤの前衛の山々を見渡すことが出来た。飛行機は40分ほどで山に突っ込むのか、と思われるような斜面の滑走路にランディングし、急ブレーキ掛けるような感じで短い滑走路の端まで行って右に曲がり停止した。
 荷物の受け取りを終え外に出ると、たくさんのガイドやポーターが出迎えていた。しかし、出迎えの看板を持ったものは誰も居ない。
HSAの出迎えはいないかと前の方に居た者に尋ねると、若者が名乗りをあげた。知らされていたガイド名と待ち合わせのロッジ、クンブーリゾートの名を言うとOKということで彼の後を付いて行った。5分ほどでクンブーリゾートに着いた。2Fの食堂に上がって行くとガイドやポーターが数人いた。どうやらこのロッジはHSAと提携しているらしく、HSAの責任者と見られる男が寄ってきて、知らされていた今回のトレッキングを案内するドルジェと言うガイドはここに居なく、別のところに行っており、今晩到着するので今日限り、ソーナムと言うガイドがお供すると言う。ミルクティーをご馳走になり、休憩後いよいよトレッキング開始した。ルクラのナムチェ方向に向かう村はずれのゲートにはネパール女性としては最初にエベレストに登頂したパサン・ラム・シェルパの胸像があった(下山途中で遭難)。最初はなだらかな石畳の下りが続く。
 途中の集落の手前にはタルチョ
(長い竿に縦長の白い布にお経が書かれており、竿の先には飾りが有る。)マニ石(経文を刻んだ石)が有った。タルチョやマニ石を通過する時は必ず左側を通るのが慣わしだそうで、私もそれに従った。空は相変わらず曇っているが振り返るとKusum kanguru south(5,813m)の前峰が雪を頂いて見えた。
 30分ほど歩くと街道沿いに有るソーナムの自宅に到着した。奥さんがいて、ミルクティーを魔法瓶に詰めてもらった。平屋の小さな家で広間にかまどが有り、薪を燃料としており、その部屋で寝食をしているらしく、子供2人と親戚の女の子が居た。
 途中右手の斜面にりんごの苗木を育てている所があり、ソーナムの話だと日本が関係しているアップル・プロジェクトだと言う。日本に帰って調べてみたら、日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラストが行っているプロジェクトで、人類初のエベレスト登頂者であるヒラリー卿の、「登山者の手で山を守れ」という発言に、日本の登山者が呼応して1990年秋に旗揚げした組織で、
果樹を植林したり、ゴミを燃やす焼却炉を設置する慈善のプロジェクトだそうだ。
 2時間ほど歩いてGhatのロッジに到着、昼食にベジタブルカレー、ララヌードルを頼んだ。味は美味しかった。
 途中で日本人の男性に会ったが、彼は腹の具合が悪く、グループから抜けて途中から引き返して来たそうだ。又、同行グループの半数もお腹を壊していると話していた。かく言う自分も昼食を摂ったあと、少し腹の調子が悪くなり、途中で民家に立ち寄りトイレを借りた。
 30分ほど行ったPhakdingの手前の橋でマイオスト(毛沢東共産主義者)がパスポートの提示要求と1日当たり100ルピーの通行料を徴収していた。
 さらに
1時間ほど歩いて12:40分にZamphuteにあるHSAと提携しているKongde peak gust houseという今晩泊まるロッジに到着。ロビーにて休憩していると雨が降ってきた。1時間ほどで雨がやんだので30分ほど散歩に出かけた。することが無いので1Fのレストランで山の書物等を読んでいると18:00ごろ正式のガイド、ドルジェ君が到着した。彼は別のトレッキング客とメラピーク方面からルクラ経由で12時間かけてここまでやってきたそうだ。
 食事の後、ソーナム君は夜道を自宅まで引き返した。昼間は食事をしている客が何人か居たが、泊り客はドルジェ君と私一人であった。
 ロッジはソーラーの発電設備で電灯やテレビも有り、パラボラアンテナにてインドの衛星放送を受信していた。トイレは水洗式で部屋は3畳ほどの個室で小さなベッドが
2つあり、ドアは外側、内側からそれぞれ鍵が懸かるようになっており、外側からは南京錠であった。

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日程1