1116() 5:50起床  晴れ ルクラ→カトマンズ

 HSAの提携しているクンブー・リゾート・ロッジがイエティ航空の代理店だけあって、本日の第1便の航空券の確保が出来た。しかし、カトマンズに朝霧が発生しているとあって、なかなか航空機が到着しない。結局空港で1時間以上待たされた。席は、前から2列目の右窓側に座ることが出来た。
 機は下り斜面の滑走路で速度を上げ離陸、迫り来る山の斜面のすぐ左脇を通って上昇を続け、間もなく雪を抱いたヒマラヤの山々が右手に見えて来た。その後、急斜面も棚田にした景色が延々と続いた。山地をくまなく農地として活用している様子には驚いた。
 やがてドリヴバン空港に着陸した。そこには往きの搭乗手続きをしてくれた
HSAの担当が、出迎えてくれていた。タクシーにてエヴェレストホテルに到着。ドルジェ君は、途中で降りて自宅へ帰った。チェックイン後、ホテルにデポジットしていた荷物を引き取り、部屋にて休憩。
 ドルジェ君とネパールの田舎料理の店を紹介してもらえると約束していたので、ホテルの部屋から、ドルジェ君の携帯に電話をし、待ち合わせ場所を聞き、時間は
12時に待ち合わせる事にした。タクシーにて、30分ほどで Boudha Jarpathi chowkに到着。ドルジェ君は、道端に立っていてくれて、すぐ見つかった。そこから歩いて、すぐのところにある店に入った。
 英語のメニューには、今回注文するイラクサと蕎麦がきを使った料理は出ておらず、ネパール語のメニューをドルジェ君が翻訳してくれた。
(Local chicken curry with shisunu dedu set)出てきたものは、大皿の上に大きな塊の蕎麦がき(ディーロ)のほかにイラクサの葉を細かく刻み、山椒の粉と混ぜた緑色のスープ、煮た豆とヨーグルトを混ぜたもの、唐辛子の利いた脂っこい漬物(アチャール)、チキンカレーが各金属の容器に入れられセットになっている。チキンカレーは美味しく、ディードロは日本の蕎麦がきと違う茶色っぽい色をしていた。味は美味しかった。また、
パパリという豆をつぶし薄く焼いたものもたべたがカリッとしていてビールのつまみとして最適であった。ドルジェ君とビールで乾杯しトレッキングの成功を祝った。
 食後、徒歩で数分のドルジェ君の家に招かれた。アパートの1階で、夫婦と幼い子供2人で暮らしていた。衛星放送の見える
PHILIPS製のテレビも有った。お母さんが作ったという、チャンを蒸留して作ったロキシーをご馳走になり、結婚式の写真やトッレッキングの写真を見せてもらった。また、彼がドイツ人のトレッカーにネパールの孤児を紹介し、里子にしたと言う話も聞いた。
 1時間ほどお邪魔した後、上の娘のペーマちゃんを伴い、徒歩で
20分程のボダナートを案内してもらった。カトマズから少し離れたところなので、静かな所を想像していたが、商店街の続く相変わらずバイクと車の喧騒とした道を歩き、右に少し入ったところにボダナートは有った。大きなストーパで、3段構造に成っており、信者がマニ車を回しながら右回りに歩いている。肘当て、膝当てをし、立ったり、伏せたりの5体倒地を繰り返している熱心な信者も見られた。ボダナートの周りには宗派の違うゴンパが幾つもあった。その中の一つツアムチュン・ゴンパ(サキャ派)を見学した。
 お土産にタンカ、ルンタなどを買った後、ドルジェ君たちとは別れ、タクシーでタメル・チョークに向かった。商店街の連なるタメルの裏道りを歩き、専門店で量り売りの紅茶
(ダージリン、アッサム)を購入。また、香辛料屋ではターメリックとガラムマサラを購入。その後インドラ・チョーク経由でダルバール広場を再訪し、前回入らなかったクマリの館に行ってみた。丁度ロシアの団体が居て、普段団体客が来た時しか顔を見せない生き神様のクマリ(初潮前の子供)が2階の窓から顔を出しにっこり微笑んだ。たった数秒で部屋の中に引っ込んでしまった。

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日程3